エーデルワイス [思い出]

毎朝つぶやくツイッターの誕生花

今日、8月18日の誕生花は
『エーデルワイス』

花言葉は
『大切な思い出』

そう書いた文字を見ていると
少し胸が痛くなりました

今日8月18日は

先日亡くなった甥の良くんの誕生日です。


昨年1月16日

良くんにがん告知

余命半年を知らされて

覚めてほしいと願う夢の中にいるような日々でした。



http://nigera.blog.so-net.ne.jp/2011-01-16

それからの

1年と2ヶ月の闘病生活

良くんや家族は本当によく頑張りました。


皆さんからの

たくさんのお祈りや励まし

ありがたかったです。

残念ながら天に戻った良くんに

七夕にはたくさんのメッセージをいただきました。


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辛いこともたくさんありましたが

時とともに

大切な思い出に変わろうとしています。


妹家族もしっかりと前に進んでいます。

今回ブログを書きたいと思ったのは

3日前のこと

そう3日前

日本は67回目の終戦記念日を迎えました。

その日の朝

良くんが最後に読んだ本のことを思い出しましていました。

「総員玉砕せよ」

水木しげるの自伝的戦記漫画です。


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良くんは

戦争の恐ろしさや悲しさ、おろかさを

若い人に知ってほしいと話したそうです。


自分自身は背骨へのガン転移で

寝たきりの生活になっていましたが

「ボクは病気だけど、こうして看病してもらえて幸せ」

そう母親に言ったそうです。


その思いと言葉を

ここに残しておきたいと思いました。







おばあちゃんのたまご焼き [思い出]

私の朝は、お弁当や朝ごはん作りから始まります。
たいていは音楽を聴きながら。
換気扇や洗濯機の音もしているし、時間に追われているから賑やかで慌しいです。

だけど、休日の今朝はのんびり。
たまご焼きを作っていたら
おばあちゃんのたまご焼きを思い出しました。

小学校にあがる少し前まで、おばあちゃんの家に住んでいました。
笑顔しか思い出せないおばあちゃんと
無口で優しいおじいちゃんの3人で住んでいました。

住んでいた家は、昔話に出てきそうな、わらぶきの屋根
玄関を入ると広い土間があって、土間続きの奥に台所がありました。
お風呂はもちろん、料理の火も薪を使っていたので
朝ごはんの支度は、今の私のように楽ではありません。
火をおこし、井戸の水を汲むことからはじまります(昭和です戦後の話ですから

私が起きるころは、畑でひと仕事終えたおじいちゃんが戻って
朝ごはんを食べるころです。
飯台に並んだご飯を見て
わがままな私が「たまご焼きが食べたい」というと
「じゃあ、たまごを取りにいこうか?」
そう言うおばあちゃんの後ろをついて
ニワトリ小屋に行きます。
ええ、冷蔵庫を開けてたまごを取り出す暮らしではありません

当時、たまごは高かったのですが
3人家族には多いくらいニワトリを飼っていたので、わりと食べさせてもらえました。
このニワトリは昼間は庭に放し飼いするのですが
気の強い、足の早いトリに、何度か追いかけられたことがあるので少し苦手でした。
だけど、たまご焼きは大好きで、たまごを集めてかごに入れる作業も楽しみでした

飯台の側に置いた七輪(昭和です)で、たまごを焼いてくれます。
箸でかき混ぜるカチャカチャという音は、今も心に残っています。
たまご焼きのフライパンに油をひくと
うすく煙があがって・・・高い天井はすすで真っ黒でした。
たまごを流し入れるとジュッ、ジュワジュワ、この音も懐かしい音。
おばあちゃんのたまご焼きは甘辛くて美味しかったです。

今朝のキッチンには、たまごを焼く音だけがしていて、
懐かしいあの頃のことを想い出していました。

とか言ってる間に、そろそろお昼ご飯の支度をしなくてはならない時間です
外の雨も小降りになってきました。
少しヒンヤリしています。
どうか風邪など引かれませんように

森の招待状 [思い出]

この季節になると思い出す、不思議な光景があります。
あれは夢だったのか・・・

小学生の頃
私の家は山の中だったので
一緒に帰る人もなく
細い でこぼこ道を
草笛を吹いたり
図書館で借りてきた本を読みながら帰ったものです。

秋が深まり始めたある日
陽の傾きかけた道を帰っていると
きれいに色づいた落ち葉がありました。
拾ってみると
赤や黄、緑の不思議な模様があります。
それは、暗号のような、文字のような・・・

目を上げると
色づき、夕日に照らされた山や木々が
木の葉の一枚一枚が
全部がキラキラ光っています。
全てがガラス細工になったようでした。

遠くの山から
波のような風が降りてきて
ガラス細工を揺らすから
万華鏡が回るように
景色は色を変え続けます。

そのあまりの美しさに
私は、どうしていいのかわからず
泣きたいような気持ちでポツンと立って見ていました。

どれくらいの時間、その景色を見ていたのか
陽の力が弱くなって、木々の足が黒くなったと思うと
突然、ガラスの世界は
何事もなかったように
あたりまえの夕暮れになってしまいました。

あのキレイな落ち葉は
色づいた森の招待状だったのでしょうか

どんなに考えても、あの時の景色は、うまく言い表せなくて
いつまでも心の中にあって、どこにも出ようとしません。



たまには夕焼けの道を歩いてみたいなって
ログ友さんの所で書いていて
ふと思い出した、遠い日の出来事でした

シルエットロマンス [思い出]

今、来生たかおさんの曲を聴いていますが
「シルエットロマンス」は特に好きです。
来生さんの声は優しさと切なさがあって好きですが
特に『サ行』の声が好きです。
サ行でも特に『ス』の音が溜息のようでたまりません。
秋の黄昏時、ふと物寂しくなる心のすき間を『ス』が通り抜けるようです。

【リラのシルエット



あれは小学4年頃の、季節はちょうど今ごろです
となり村で、餅まきがありました。
私たちの所では、家を建てるとき、棟上げのお祝いとして
紅白のお餅や、お菓子がまかれるのです。
お餅を持って帰ると、大好きなお汁粉を作ってもらえるので
少し遠いけど、妹と行きました

たくさんのお餅やお菓子を袋に入れて帰ろうとしたら
友だちに会って、川土手でお菓子を食べながらお喋りしていました。
気付くと、日は西の山に傾きかけていました。
秋の日はあっという間に沈みます。
わたしの家には水道も井戸もなく
川の水を家まで運ぶのです。
それは私の仕事でした。
早く帰ってお風呂の水くみを済ませなければ
仕事から帰った母に叱られます



妹と足早に歩きましたが、風も冷えてきて
今にも日は沈みそうでした。
その村からわたしの家の間には山があって
帰るには山裾の道ををぐるりと回らないといけません。
『近道をしようか・・・』
山を突っ切る道を行けば、半分の時間で帰れます。
住んでいる家が山の中の一軒家なので
山道は全然怖くありません。
ただ、途中にお墓があるのが怖いのです。
でも、ためらっている時間はありません
「行くよ」って妹の手を引っ張って、山道へ入りました。




お墓の近くには、家はありませんが、田んぼや畑があります
運が良ければ、そこに人がいるでしょう。
お墓が近づいた頃、妹が「あそこにオバチャンがいる」って指さしました
ホッとしながら歩いていると
ちょうどお墓のあたりでオレンジ色の物が光りました。
妹も見たらしく、私にしがみついてきました。
その光は付いたり消えたりしています。
『ひとだま?』
怖がりの私は声も出ません。
妹の手を引っ張って、あぜ道を走り
おばさんの所へ行きました。
でも・・・おばさんに見えていたのは案山子でした
妹は「わっ!!」と泣き出しました。
私も泣きながら「泣いちゃダメ」って怒りました



しかたなく、来た道を戻ろうとしていたら、お墓の方から
おばさんが歩いてきました。
「あんたら、早よ帰らんと・・」って声をかけてくれたので
ホッとして、おいおい泣きながら
お墓の所で何か光っていて、怖くて近寄れないことを話しました。
おばさんは光っている物の方を見て
「ああ」って笑いました。
オレンジ色の光の正体、それは畑に鳥が来ないように
ピカピカ光る風船のような鳥よけでした。
ヒモで吊してあるので、風に揺れて光っていたのです。
それは、おばさんが仕掛けた物でした




おばさんは気の毒に思ったのか
「見えなくなるまで見ててあげるから、早く帰り」って言ってくれました。
その言葉でわれに返って、再び妹の手を引いてお墓の道へ走りました。
妹は何度か振り返って「おばちゃん、まだ見てくれてる」って私に知らせました。
私は前だけを見て妹の手を引っ張って走り
無事、お墓の横を通り過ぎ家に帰りました

そんな遠い遠い日の、秋の夕暮れの思い出です。



   *記事の内容と写真は、あまり関係ありません

ウサギの餅つき [思い出]

ぼくらが生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに

             アポロ/ポルノグラフティ
多くの方はこの歌詞を何の違和感もなく聴いておられると思いますが
私は生まれておりました

昨日は中秋の名月でしたね。
寝る前に部屋の窓から見た月はとても眩しくてキレイでした。
しっとりとした月の光に包まれて
街路樹や家も道も、昼間の残暑の熱を冷まし
癒されながら静かに眠っているようでした。



1969年7月アポロ11号が月面着陸したときは
小学生でした(引き算とかしないで下さい
担任だったM先生は、授業が手に着かないくらい興奮しておられ
「これは教科書に載るくらい大きな出来事です。みなさんもこの映像を見た事を忘れないでください」
みたいなことを言われ
月面着陸のテレビ中継を見せてくださいました
たぶん自分が見たかったんだと思います。

教室内での反応は記憶にないくらい薄く
高学年ならもっと興味を持ったのでしょうが
いまひとつ理解できていなかったように思います。

私は夜空に光る月と、テレビに映る殺風景な月面が
どうも一致しなくて、不思議なような、悲しいような気持ちで見ていました。

隣の席のSクンが話しかけてきました。
「なあ、ウサギはどこにおるんじゃろ?」

あの頃、月でウサギが餅をついていると信じていた子は多かったんじゃないでしょうか?

こんなごつごつした荒れ地にはウサギは住めません。
黙っていると、Sクンはよほどウサギが心配なのか
何度も聞いてきます。
「あの穴(クレーター)に隠れたんよ」そう言いました。

私には月の模様がウサギの餅つきには見えなかったので
Sクンのようなショックはありませんでしたが
月は鏡のようにツヤツヤしていると思っていたので、やはりショックでした。
同じクラスのMちゃんは、月に帰ったはずの『かぐや姫』を気遣っていたそうです

アームストロング船長の名言
これは一人の人間には小さな一歩だが
人類にとって大きな飛躍だ


その影に
「そうかも知れないけど、ガッカリだ」と夢を壊された子どもたちもいたのです

思い出は炭の味 [思い出]

先日、美味しい焼き鳥が食べたくなって
炭をおこして卓上七輪で焼きました。

炭火で焼くと美味しいですね。
すぐに焼き鳥は食べつくされて
もしもの時のために、冷凍しておいたカルビも焼きました。



もはや焼いているのか、燃やしているのか分からないです

ものすごい煙と、炎で換気扇の掃除が大変でした。
家の中でこんな事をしちゃダメですね

初めて食べたものって記憶に残りますよね。ね?

《初めてのトースト
              
              2年1組 ニゲラ

何を思ったのか、母が食パンとバターを買ってきてくれました。
パンには牛乳が合うと母に言われ
くらや(屋号)のおばさんの家に
ヤギの乳をもらいに行きました。
両手で持った瓶の中にはヤギの乳、まだ暖かいです。

家に帰ると
土間に置いた七輪に炭を入れ
網を置いて、母は食パンを焼き始めました。
うちは貧乏で、文明に取り残された山奥なのでトースターはないのです。

パンが焼ける良いにおい
見守る私と妹

キツネ色に焼けて、焦げたところは包丁の背でガリガリ削って
バターをたっぷり塗ってくれました。
炭で焼いたパンと、ほんのり甘いヤギの乳はとてもおいしかったです

次の日、学校で
Hくんが「食パンはパン焼き機で焼くのがおいしいな」って言っていました。
そしたら、皆に「パン焼き機?トースターやろ」って笑われました。
Hくんは「そっかー」って一緒に笑いました。

私は、初めて食べたトーストのことは
「誰にも言えん」って思いながら、とにかく笑っておきました


あの時は、恥ずかしくて誰にも言えないと思っていたことを
懐かしく思いながら書く日が来るなんて
しかもパソコンで・・・・

思い出って、川底の小石のようです
立ち止まってしゃがんで覗いたら
時の流れのその奥で
キラキラ光っているものなんですね(笑)

チョコべー [思い出]

夜明けが早くなりましたね
空が明るくなると、鳥が目を覚まして
私の住む住宅街にもスズメやツバメ、ウグイスが
新しい一日を祝福するみたいに鳴き始めます。

ウグイスの声を聞いていたら
中学生の頃を思い出しました。

私の通っていた中学校は裏は山で
周囲は民家もなく見渡す限り田んぼでした。
生徒のほとんどは自転車通学ですが
律儀にヘルメットを被り、手信号を守る子どもたちでした

でも、そんな田舎に住んでいてもやはり思春期を迎える中学生。
ほんの少しの反抗期もありました。
校庭での朝礼、あの時もウグイスが元気に鳴いていました。
教育実習で来られた先生がお別れの挨拶をされます。
「豊かな自然の中で、純粋なみなさんと学べて楽しかったです
良く覚えていませんが・・・そんな感じでした。

私の前に並んでいるMちゃんが
やれやれといった顔で振り返りました(-"-)
私も「純粋なみなさん」が引っかかったので
苦笑いしながら「うんうん」って頷きました。
朝礼が終わり、教室に歩きながらMちゃんのセーラー服を引っ張って
「私らが純粋だって?」言うと
Mちゃんは「そうっちゃ、ウチらのこと何も知らんくせに
私も「田舎に住んでるから純粋と思ったら大まちがいっちゃ


その日のお昼休み。空には雲もなくて、どこまでも深い青空でした
渡り廊下で、Mちゃんと二人並んで、自分の影をジッ見つめて
ゆっくり10を数えます。
瞬きしたらやりなおし。
「1,2,3,4・・・10、せーの
パッと空を見あげると
そこには、私たちの影
「見えた
「見えた見えた!!Mちゃんは
「ウチも見えた
真っ青な空に、私たちの白くて大きな影が手をつないで立っていました。

私たちは「チョコべー遊び」って言っていましたが
『かげおくり』の方が分かるのかな?
(・・・森永チョコべーのCM知ってる人、おられますか?

あの頃は、もう子どもじゃないなんていきがってたけど
今思うと、まだまだ無邪気な子どもでしたね

あ・・・オチはないので怒らないでくださいね。
ウグイスの声で、こんな何でもない日のことを思い出したなーってだけのことです

今日も平凡で何てこともない日ですが
公園を歩いていたら、四つ葉のクローバーを見つけました。



二つ並んだ四つ葉のクローバー
新しい週の始まり、みなさまに良いことがありますように

ワラビの思い出 [思い出]

ワラビの思い出をウダウダと書いていたのですが

いとこから電話があり、それが気になっています。
先日、親戚のお葬式で、久しぶりに会いました。
歳も近くて共通の友人もいるので、昔はよく遊んでいました
そのいとこが
「夏に帰ったら、共通の友だちと飲み会しよう」ってお誘いでした

飲めない私ですが雰囲気は好きなので、二つ返事で受けました。
でも、誰を呼ぶのか気になったので聞くと
むかし、ちょっとだけお付き合いしていた、Tさんも含まれていることが分かりました
遠距離だったので自然消滅して、それ以来会っていません
いとことTさんは今でも仲良しで
たまに私は元気かと聞いてくれるそうです。
Tさんの名前を聞いてとても懐かしかったのですが
とっさに
「Tさんには会いたくないな」って言っていました。

電話を切っていろいろ考えたんです。
どうして会いたくないって言ったんだろうって。
今は、どう考えても懐かしいだけなのに。

何となく分かったのは
あの時、私は18歳で、Tさんは19歳でした。
うん・・・これですね
お互い、今の姿は見ない方が
そして見せない方が良いのかも知れません

ワラビの思い出は、今度書きます
え?別に読みたくないですか?
じゃあ、これから10行以内で書きます(^^;)

この時期になると、田舎者のサガなのか
ワラビをとりに行きたくて仕方がありません。



車に乗っていても、何となくワラビのありそうな山は分かります。
ワラビのことを考えていたら
これもワラビに見えてきました・・・



重症でしょうか

はじめてのお花見 [思い出]

先月田舎に帰ったとき、懐かしい写真を見つけました。
古いアルバムに貼ってありました。
子どもの頃の写真は、ほとんどなかったので
妹と一枚ずつコピーしました


(歴史を感じる古さです

小学校に上がる少し前までは、おばあちゃんと一緒に住んでいましたが
ちょうどこの頃、母たちの所で暮らすようになりました。
おばあちゃんは心配していましたが
可愛い妹ができて嬉しかったです

私たちの住んでいた所は、遠くに海を感じることができる
山あいの小さな村でした
家は貧乏で、それでなくても生活は大変なのに
母は私を引き取る大変さは微塵も見せませんでした。

「みんな一緒に大きくなったらいい」そう言う人です

朝から晩まで働きながらも、楽しみを見つける人で
家の近くの桜が満開のある日
いつもより仕事から早く帰った母が

「花見をしよう」って

ゴザとお茶を入れたヤカンやら
おひつに茶碗や箸、煮物の鍋を持って
桜の木の下で、いつもの晩ご飯を食べました
オママゴトみたいで楽しかったですよ。

歌の好きな母は、手拍子をしながら
『お座敷小唄』を熱唱していました。

富士のたかねに ふる雪も 
京都先斗町に ふる雪も
雪に変りは ないじゃ~なし 
とけて流れりゃ 皆同じ

妹と私は、訳もわからず
「とけてな~がれりゃ、み~なお~なじ」が気に入って
ゲラゲラ笑っていました

それが、はじめてのお花見でした

何年か前の春、帰省したとき裏の神社では桜が満開でした。
妹たちと夕飯の支度をしていて
「お花見をしよう!!」ってなりました。

あの日と同じように、ゴザや炊飯器を持って
子どもたちも鍋や茶碗を持って
桜の木の下で晩ごはんを食べました。
あの日は3人、今度は4人増えました

あまり風流ではありませんが、これがお花見の思い出です

お花見の思い出、ありますか?

帰郷 [思い出]

帰省したときの事を少し書きます
帰ったとき、たまに行くところがあります。
ここはパークロード(本当はもっとキレイなんですが・・・)

山口県庁前から中心商店街に向け、ゆるやかなカーブを描いて伸びている県道です。
道路と道沿いには美術館、博物館、図書館などがある美しい街並みです
見上げると丘の上には教会があって、昼間は15分ごとに美しい鐘の音を響き渡らせています。

聖フランシスコ・サビエルを記念して建てられた『サビエル記念聖堂』です

ザビエルだと思うのですが
本人が「ワタシハ“サビエル”デス」って言ったから
サビエルなのだそうです(笑)

その向かいは公園になっていて、市内が見渡せます。

ここはデートコースでもあります
この日もお手々をつないだカップルが、ベンチや木陰にわらわらと・・・
寒い日でしたが、見るからに熱くて
ザ・キャプテンズの
「恋は赤道直下」を振り付けで歌ってあげたかったです

むかし、ここに中原中也の詩の一編を刻んだ石碑があったと記憶しています。

これが私の故里〈ふるさと〉だ
さやかに風も吹いてゐる
   
あゝ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
             (中原中也“帰郷”の一部です)

ここに来て、風に吹かれるとこれが自然と思い浮かびます

私も高校生の時、ここでデートをしました
ええ、緊張して手もつなげなかったです

でも
「あゝ おまえはなにをして来たのだと……吹き来る風が私に云う」
その言葉がすごく胸に迫ってきて
人生の終わりの時
「おまえはなにをして来たのだ」と問われると強く感じました
そう思うと、向かいの教会に駆け込んで懺悔したくなって
デートどころじゃなかったです(笑)

かなり残念な青春時代でした・・・(>_<)

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